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第六回 それでもコピーはおもしろい
三島邦彦
『お前はただの現在にすぎない』
僕の手元に一冊の古い本があります。
タイトルは、『お前はただの現在にすぎない-テレビになにが可能か-』。
1969年、TBSの社員数名が成田空港建設反対運動の取材において報道の中立性を損なったとされる「TBS成田事件」や、番組の制作姿勢を理由に懲罰的な配置転換がなされたことをきっかけにはじまったTBSの労働組合とTBSとの対立、いわゆる「TBS闘争」を中心とするルポルタージュです。
主な登場人物は、配置転換の当事者であり、のちにTBSから独立しテレビマンユニオンを作ったテレビディレクター、萩元晴彦。彼はさまざまな集会を通じて、組合員や多くのテレビ関係者たちに「テレビになにが可能か」を問い続けます。
1969年という時代は、民間テレビ放送が始まってまだ15、6年といったところ。誰もがテレビに大きな可能性を感じながらも、テレビというものの存在がまだ揺れ動いている時期。その中で、萩元晴彦は一般人へのインタビューによるドキュメンタリー「あなたは・・・」など、テレビの表現を開拓する番組を次々と制作していました。
「いま一番ほしいものは何ですか
月にどの位お金があったら足りますか
もし総理大臣になったら何をしますか
あなたの友人の名前を仰言って下さい
天皇陛下はお好きですか
戦争の日を思い出すことがありますか
ベトナム戦争にあなたも責任があると思いますか
では、その解決のために何をしていましたか
昨日の今頃あなたは何をしていましたか
それは充実した時間でしたか
人に愛されていると感じることがありますか
誰にですか
今あなたに一万円あげたら何に使いますか
祖国のために闘うことが出来ますか
いのちを賭けてもですか
あなたにとって幸福とは何ですか
ではあなたは今幸福ですか
何歳まで生きていたいですか
東京はあなたにとって住みよい町ですか
空がこんなに汚れていてもですか
最後に聞きますがあなたはいったい誰ですか
八二九人の人々に同一の<問いかけ>を行ったこの作品は、芸術祭奨励賞を受賞した。」
(『お前はただの現在に過ぎない』P20)
その萩元が、この本の中で何度も繰り返し「テレビになにが可能か」を問います。そして、テレビの可能性を語り合いながら、自分たちもまたテレビの可能性を損なっている加害者でもあるという自覚を持つようにと迫ります。
この、可能性を問い直す姿勢、問い続ける態度が必要なんじゃないか。と思う訳です。
広告になにが可能か、コピーになにが可能か、ということを僕らは十分に考えられているだろうか。広告の、コピーの可能性を狭めているのは自分たちではないのか。そうした問いを問い続けることから生まれるものが、きっとあるはずだと。
不確かな、だけど大きな可能性を前にして、連帯を呼びかける。コピーライターが技能や情熱による連帯を強めることで、生き残る確率を高めていく。そんなことができたらと思いながら書いてきたこの連載、最終回の今回は、コピーとは何なのかについて今思っていることをあれこれ書いていきたいと思います。
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