記事詳細

気づいたらアメリカでCDをやっていた男の話②

曽原剛
2006年に、私がはじめてアメリカの地に足を踏み入れた時から、
その様相は様変わりした。
ソーシャルメディアもAIもインハウスエージェンシーもまだ主流になっていなかった当時は、
大手エージェンシーのクリエイティブがまだまだ花形だった。
拙い英語ながら同僚と雑談していたとき、手取り足取り教えてもらいながら、
産声を上げたばかりのFacebookのアカウントを初めて作った日のことを、今でもよく覚えている。
コピーライターとアートディレクターがペアになって一つのクライアントを担当し、
CCO、ECD、CDの上司たちの方針に従いながら、大きなキャンペーンを手がける。
その成果を手柄にエージェンシーを渡り歩き、
階段を登りつめていくことが成功への道だった。
WPPグループにはオグルビー、JWT、グレイ、Y&R、AKQA。
オムニコムにはBBDO、TBWA、180、Goodby, Silverstein & Partners。
ピュブリシスにはレオ・バーネット、サーチ&サーチ、BBH。
インターパブリックにはマッキャン、FCB、R/GAなど。
そして独立系としてワイデン&ケネディが存在し、
それらの大手エージェンシーでCDになることが、みんなの夢だった。
ご存じの通り、それから20年ほど経った今、
もはや日本でも世界でも、そんな時代は終わっている。
この記事は
ADBOXプラン会員限定コンテンツです。
残り3,373文字