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第一章 間 (エディター K)
村田俊平
(※この記事はフィクションです。内容は実在の人物、会社とは関係ありません。)
調整した動画を広告代理店のクリエイティブ、営業担当、そして、この動画の広告主が見つめるモニターで見終わると、それまで停滞していた編集室の澱んだ空気がスカッと晴れた。
映像編集の最終段階は、点検の繰り返し。ちょっとした違和感を探し続け、そしてひたすら片付け続ける。それぞれの尺の使い所をもう一回疑いの目を向けながら確認し、テイクを洗い直し、尺を調整、画角を検証……。映像から感じられる居心地の悪さを、探しては潰していくねちっこい作業。特にテレビCMにおいては15秒にストーリーをぎゅうぎゅうに丸め込まなければいけないのだから、歪みはより多くなる。一見映像が形になったかに見えてもそこからが本番。百点の映像は存在しないが、取捨選択やトレードオフを繰り返して、そのCMのいわば、イデアに少しでも近づけていく。
クリエイティブが繰り返されるCMを見つめたまま、監督に尋ねる。
「これは、どこか触ったんですか?」
「えっと……、どこだろう」
ディレクターが私の方を向き直る。
「この女性の寄りのカットを5フレ伸ばしました」
そう答えると、監督は不思議な顔をする。
「え。どこから持ってきたの?」
「商品カットからです」
晴れたはずの編集室の空気が再びよどむ気配を見せた。クライアントにとっていわば、商品カットはCMのメインディッシュ。1フレームでも長く見せていたいと考えるのは当然だ。しかし、長ければ長いほど記憶に残るという単純なものでもなく、ストーリー部分が忙しすぎてあたふたしたようなものになる理解しにくいものになると当然CM自体の印象が残らないから、商品カットどころの話ではない。15秒のCMで、どれだけ「体感」15秒以上の情報や感情を残すことができるかが良いエディターだと思う。
結局、クライアントは商品カットが減らされたことを面白く思っていない様子だったけれど、編集室全体の雰囲気と、「うーん、こっちの方がいいと思うけどなぁ」のクリエイティブディレクターの一言で、衆議一決、仮編集試写は解散となった。
ぶら下がりや、字幕入りなど、編集のタイプをプロダクションのプロダクション・マネージャーとまとめて赤坂の編集室を出たのが26時過ぎ。オフラインエディターの仕事は労働集約的で、働く時は深夜までも珍しくないがが案外、何もないときは本当に何もない。こういう生活におけるメリハリは動画編集の緩急そのもので、自分には性に合っていたが、次第にこの緩急に体がついていけなくなってきて、この仕事を最後に転職することにした。
深夜までの作業で体力を失った編集マンや制作スタッフを待ち構えるように待っていたタクシーの一台に乗り込み、南高円寺までの行き先をつげ、ぐったりしながら座面に埋もれる。体は疲れているが、最後の編集に間を作って劇的に改良されたことに一仕事やってやった感があったので、気持ちは軽かった。少し、悦に入っていると、目の前のモニターでタクシーCMが流れ始めた。一つ二つ見た後、その異常なテンポ感に辟易して、画面オフボタンを押す。タクシーに乗るとすぐ、画面オフにする人がCM業界には結構いるが、自分たちが作ったものを見ないようにするなんて皮肉以外の何者でもない。忙しいCM表現は、人々の人生の忙しくない瞬間にぬるぬると潜り込んでくる。
間。「あいだ」ではなく、「ま」。CMの編集をやっていて何より一番技術がいるのは、この「間」だ。時に、代理店やクライアントに怪訝な顔をされながらも、この間を捻出したことで劇的にクオリティが上がったことが幾度となくある。何かが大きく変わったわけではないが、体感気持ちいいとか、右脳が喜んでいるとでもいうのか、理解するより、感じるレベルで映像のクオリティが上がる瞬間は何物にも変えがたい。一方で、この「間」は格好の粛清対象になる。無駄な時間には一瞬でも、尺を割くのはもったいないということなのだろう。15秒のテレビCMの制作費が仮に3000万。秒数で割って1秒あたり200万。半秒間があったらちょうど100万。何もしていない時間に100万円も使えませんよ、と。
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