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言語化を言語化してみる ③「距離感」

小川祐人

多様性の本質とは「同質性」の土台を前提とした差異の存在である。

 

……いきなり何の話をし出すのかと思われるかもしれませんが、これは少し前に読んだ生命科学に関する本の一節です(出典:高橋祥子(2021)『ビジネスと人生の「見え方」が一変する 生命科学的思考』NewsPicksパブリッシング)。

 

多様性という言葉をいたるところで耳にする最近ですが、生命科学的観点に立てば、多様性とは「何が違うか」という差異だけではなく、「何が同じか」という点にこそ注目しないといけないというのが筆者の主張です。99.9%同じであるという前提があった上で、0.1%だけ差異があるからこそ多様であると認識できる、と。バラバラに存在している物を集めるだけでは多様性とは言えない。

 

なぜこんな話をしたかと言えば、これは言葉を考える上でも示唆深い説だと思ったからなのでした。

 

前回は、言葉の仕事とは「新しさ」を定義することであるということ、そのために「何から何へ変えるのか」を真ん中に置いてみることの有効性について考えを進めました。その中でよぎった疑問、「そもそも新しさって何だ?」というのが今回の主題です。

 

結論から先に言えば、(言葉における)新しさというものは「新しくないもの」を土台として存在しているのではなかろうか、と。言い方を変えれば、これまでの常識や慣習の「少しだけ外側」にある部分こそ新しさと呼ばれるものではないかと。

 

わかるようでわからない書き方が続き恐縮ですが、ここでのポイントは「少しだけ外側」というところにあります。「大きく外側」である必要はない。というか、大きく逸脱しすぎてはいけない。「常識」や「慣習」で形づくられたきれいな円、そこからほんの数ミリだけ離れてみる。その距離感のコントロールこそが、言語化の仕事なのではと思うのです。

 

正円の、少し外側。図にしてみるとこういうことです。

 

自分が名作コピーを取り上げるのも僭越ではあるのですが、たとえば。「おいしい生活。」というコピーは「たのしい生活。」でも「すっぱい生活。」でもだめで、「おいしい」という絶妙な言葉を発見したことにこそ意義がある。「男は黙ってサッポロビール。」は、「男はみんなでサッポロビール。」でも「男は裸でサッポロビール。」でもだめで、「黙って」という部分にこそ時代の気分が映されている。

 

コピーを書いたことのある人ならわかると思うのですが、「嘘」と「常識」の間を探る距離感のコントロールが、実は一番難しい。「虚実皮膜」とは近松門左衛門の演劇論ですが、彼の言うところの「虚」と「実」の間の絶妙な部分にこそ、まだ誰もかたちにしていない隠れた真実がある(と信じてみる)。前回の議論に即して言えば、

 

A(常識や慣習)→B(仮説や提案)

 

のBの部分で、飛びすぎてはいけない。常識という名の重力を感じながらも、少しだけ浮遊してみる感覚、ということになるのでしょうか。

 

宇宙人禁止。昔よくCMの研修などで先輩に言われたことです。宇宙人のような明らかな「嘘」を用いれば、何となく企画はできてしまう。けれどそれだけでは、企業や商品の本質、世の中の空気とかけ離れていく。コピーにおいて、「◯◯革命」「超◯◯」「世界一◯◯」といった「劇薬ワード」を乱用しすぎてはいけないという教えにおいても同様です。

 

抽象的な話が続きました。ここでまた、自分の仕事を引用してみます。

 

数年前、ヤマト運輸さんのお仕事を担当させていただきました。

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