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言語化を言語化してみる ④「身体感覚」

小川祐人

人が何かをひらめく時。それはよく、「電球」で表現されたりします。

このIdea Bulb(ひらめき電球)は、1920年代に“Felix the Cat”というアメリカのアニメが初めて用いたイメージである、という説が有力らしいです。

 

その電球のイメージ同様、人間の思考は、脳の神経細胞が電気信号をやり取りすることで生じている。人が何かを思いつくということは、結局のところ「脳内物質を巡る生理現象」として説明できてしまうかもしれない。けれど、そのプロセスにはもっと色々ありそうな気がしています。

 

回りくどい言い方をしてしまいました。要は、言葉が生まれるときの「身体感覚」と呼ぶべきものが今回のテーマです。

 

「何かが降りてきた」と言う人。「深い海を潜った先に見つけた」と言う人。「小さな種を育てた」と言う人。ひらめき方の表現は、人それぞれです。そしてその人独自の感覚と実際に生まれるアウトプットの間には、何か関係がありそうな気がするのです。

 

僕がそんなことを考える、ひとつのきっかけとなった話をします。昔、磯島拓矢さんという会社の(大)先輩とお仕事をご一緒させていただいた時のことです。

 

僕は(というか若手なら大抵そうだと思いますが)「数こそが正義」という思想だったので、それはもう毎回たくさんコピーを書いて打ち合わせに持っていきました。たぶん、ぜんぶで4〜500案近かったように思います。

 

数は書ける。だけど、手応えがない。当然、打ち合わせでの反応もよくない。何でだろうと思っていたある日。磯島さんが「こういうのどうだろう」とコピーを出されました(先輩の「ちょっと書いてみたんだけど」ほど怖いものはない……!)。数にして、2、3案だったと思います。だけど、その原稿用紙に手書きで書かれた1行には、僕がこれまで持ってきたどのコピーよりも重みがあった。核心を突いていた。「もうこれしかないのではないか」と思わせる、ど真ん中。ダーツで言うと、中心のBullに刺さって「ズキューン」と鳴ったときの感じ。この感覚は何なのか、そしてどうすればそういう言葉がつくれるのか。そんな問題意識がずっと自分の中にありました。

 

考えよう。答はある。(旭化成ヘーベルハウス)

自分は、きっと想像以上だ。(大塚製薬ポカリスエット)

昨日まで世界になかったものを。(旭化成)

祝!九州(九州新幹線)

 

磯島さんのコピーには、どれも、「もうそれ以外ないのではないか」という感嘆(とちょっとした絶望)を感じます。まるで凄腕のスナイパーや弓の名手のようなアプローチの仕方。ズキューン感。ちなみに後日磯島さんご本人に聞いたら、「昔から、数をたくさん考えるのは苦手なんだよね」とおっしゃっていました。そういうことが言えるオトナになりたい、とその時思ったのでした。「目的があるから、弾丸は速く飛ぶ。」というのは仲畑貴志さんのコピーですが、迷いがない言葉というものは弾丸のようです。与件、意見、制約、さまざまな「針の穴」を通り抜けながら、その先にある的のど真ん中を射抜く。そんなイメージ。

 

そんな「身体感覚」について、頭の片隅でぼんやり考えながら仕事をしてきました。そんな中、「いきなり降りてくる」というようなことはほとんどなく。最近意識しているのは、「刀をつくるイメージ」です。もちろん実際に刀をつくったことはないので、あくまでもイメージです。

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