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ちょっと変わったCDの社会人キャリア①「いきなりMAX」編

北尾昌大

はじめのごあいさつ

 

はじめまして。貴重な時間にこの記事を読んでいただき、ありがとうございます。クリエイティブ・ディレクター(CD)の北尾昌大です。

 

自分は、CDでありながら、制作プロダクションなど複数の会社の経営者でもあります。本業は「クリエイティブを武器に、主にスタートアップ企業の事業グロースを支援する」で、コンサル的にスタートアップ企業の経営者の伴走をしながら、年間約20本のCMを企画・ディレクションしています。

 

ここまでで「ちょっと変わったCD」だなと思ってもらえたでしょうか?世のCDには変わった方が多いので、このくらいだと「まぁ、そんな人もいるよね」レベルかも知れません。

 

初対面の方々とお会いする時に、じっくりこれまでのキャリアをお話をさせてもらうと「変わってますね!」「ぶっ飛んでますね!」「本を出した方が良いんじゃないですか?」と言われることがあります。たしかに、広告業界内で周囲を眺めてみると、客観的に見ても自分のキャリアは「変わってる」と言えるかも知れません。(世の中にはぶっ飛んだ人はたくさんいますが、広告業界の中のキャリアで言えば程度ですが)

 

日常では「あの人、変わってるよね」はどちらかと言うと悪い意味でも使われます。しかし、これからの世の中、特にビジネスの世界では「人とちがう(=ユニークネス)」人材には価値があると自分は信じているので、「変わったキャリア」と言われることはポジティブです。

 

この連載では、じっくりとこれまでのキャリアの話をさせてもらえればと思っています。とは言え、これを読んでも自分と同じようなキャリアを辿るような再現性は(幸か不幸か)ありません。でも「(良くも悪くも)こんな人もいるんだ?」と自身のキャリア形成における何らかのヒントになることはできるんじゃないかと考えています。

 

自分のキャリアの進め方

 

世の中の偉人たちの多くは、キャリアの目標設定が明確です。大谷翔平選手の目標達成のためのマンダラシートなどは有名ですね。

 

自分の場合は「ゴール」や「目標」はおろか「近い将来こうなりたいな」と思ったことすらありません。若い頃には「どうして自分には夢がないんだろう?」と嘆いたこともあります。

 

常に目の前にあるタスクに熱中し、そろそろ飽きてきたなぁと思った頃に、方向性をピボットする出会いや出来事が起きる。その時に「!」と来たら迷わず飛びつくを繰り返していたらこんなキャリアになりました。「思い切り」の良さは、変わったキャリア形成のキーワードの1つかも知れません。

 

キャリアがはじまる前のビッグバン

 

社会人人生は、電通でスタートしました。でも、そのちょっと前の大学時代に、自分の人生を大きく変えることになる大きな出会いがありました。まずは、その話から。

 

X Japanのhideというピンクの髪のギタリストをご存知でしょうか?1997年に若くして他界してしまいました。特に彼のソロ活動の大ファンだった自分は、忘れもしない1996年10月20日、代々木第一体育館で行われたPSYENCE A GO GOツアーのコンサート最終日へ足を運びました。ライブがはじまる前のステージの上には巨大な電光掲示板があり、そこにホームページのURLが流れていました。最近では、検索窓やQRコードに表現を奪われURLを目にすることはだいぶ減りましたが、インターネット黎明期の1996年当時には多くの人にとって謎の呪文のような文字列だったかと思います。

 

しかし、日本のインターネット教育の最先端にあった慶應SFCに通っていた自分は、その文字列に狂喜乱舞。「さすがhideさん、ホームページを持っているなんて、時代の最先端行ってるわぁ!」と帰宅後、すぐにサイト経由で本人にコンサートの感想メールを飛ばしました。

 

するとなんと翌朝、ご本人から返事が来ていました。調子に乗って、さらにそれに返信。しかも情報処理の課題で作って以来たのしくて更新を続けていた自分のホームページのリンク付きで送ったのです。

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