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言語化を言語化してみる ①「ではなかろうか説」
小川祐人
コピーライターだけで集まって飲んだ夜。だいたい、序盤から核心に迫った展開になります。
広告の話、会社の話、趣味の話、ときどき悪口……。どんなトピックでも、みんなすぐに結論を目がけてきます。「ボディコピーは一行目のつかみが大事」ということを知っているからでしょうか。職業病というやつですね。何を隠そう、このコラムも書き出しで悩みました。(それでこれかよというツッコミは置いときつつ……)
飲み会はさておき。打ち合わせにコピーライターが入ると、議論のスピードが上がる、という経験をされたことはないでしょうか。
「要するに、一言で言えばこういうことですよね」
「これって、例えて言うなら◯◯みたいなもので」
「そもそも、これって何ででしたっけ?」
などなど。ときに一言に要約し、ときに例え話を用いながら、話の焦点をつくっていく。もやっとしているものに輪郭を与えたり、ふわふわしているものを結晶化させたりする上で、言葉はとても便利です。
この、表現の手前にある「要するに」のところ。様々なアイデアの根っこにある固い部分をつくることを「言語化」と呼ぶのだと思っています。そしてそれは、単なる「言葉の整理」とは似て非なるものである……というようなことについて、このコラムでは考えてみたいと思います。申し遅れましたが、コピーライターの小川祐人と申します。「言語化を言語化してみる」という何やら壮大なタイトルを掲げてしまったこのコラム、どう結論づけられるのか自分でも見えていないのですが、僕自身の学びになると思い書きながら考えていきたいと思います。どうぞお付き合いください。
ここ数年、社内の研修やら学生向けのインターンやらでお話をさせていただく機会が増えました。もちろん、全員がコピーライターなわけではなく、アートディレクターもいれば、全く違う道に進む学生さんもいます。その中でいつもお伝えしている言葉があります。
「コピーライターもアートディレクターもそれ以外も関係なく。表現に言語を持たない人は、搾取されていきます」
AIの登場も相まって、「そこそこのもの」なら誰でも生み出せるようになった時代。効率と最適化の名のもとに表現が分節化されていく時代。そもそも自分はなぜそれをつくるのか、自分がつくるべき必要はなんなのか、を言語化しないと周りにいいように利用されてしまう、と。……よくもまぁ偉そうにという感じなのですが、実はこれ、僕自身の言葉ではなく、とある先輩からの受け売りだったりします。ちなみにその先輩はアートディレクターである、という事実に背筋が伸びる思いがします。
自分自身、日々なるべく言語化することを意識しながら仕事をしています(というか生きています)。その理由がいくつかあるので挙げます。
①打ち合わせがうまく進むから
これは先述したことでもあるのですが、打ち合わせにおいて言葉を固めていくことで、みんなが狙うべき「的」が生まれる感覚があります。「ってことはこういうことですよね」「こういうアイデアもありですかね?」「それなら考えられそうです!」など、どんどん意見を放り込んでいける場所。「いま話すべきはこっちだよ」という道案内のようなもの。逆に言えば、仕事においてみんながバラバラな場合は、言語設定があいまいなことが多い気がします。
自分の場合は、社内クリエイティブスタッフだけでなく、様々な職種の人とプロジェクトを進めることが多く、その場合も共通のゴールを決められると一体感が生まれていくように思います。
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