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言語化を言語化してみる ⑥「問い続ける」
小川祐人
NHKの「100分で名著」という番組があります。
100分で名著が知ったつもりになれる!という安易な気持ちで見始めたのですが、名著もさることながら、進行の伊集院光さんの切り返しがまた見事で勉強になります。
(この番組制作を綴った「名著の予知能力」という本もまた、名著です)
とある回で出た、伊集院さんの発言を引用します。
問い続けることをやめるってことは、『答えが出たと思う』か『諦める』のどちらかになるのではないか。でも、『諦める』ことは完全な分断だし、『答えが出たと思う』ことは偏見だと思うんですよ。
(秋満吉彦(2023)『名著の予知能力』幻冬舎新書)
「諦めること」は分断であり、「答えを出すこと」は偏見である。だからいちばん大切なのは「問い続けること」なのだ、と。この態度には、人としてはもちろん、コミュニケーションの仕事に携わる者としてもハッとさせられるものがあります。
前回まで、大きくは言葉をどうつくるかということについて考えてきました。いわば、「解」を出すこと。今回は、ある意味それとは真逆のことを考えてみたいと思います。つまり、「問」についてのこと。
言葉は何かを解決するためのものである。それは間違いないことかもしれない。けれど、言葉は何かを問い続けるためのものであるという考えも、それと同じくらい大切。それっぽく言えば、「言葉は、アクセルであると同時にブレーキでもある」ということかもしれません。
言葉は、物事の本質に一番早く触れるための技術です。仕事においては、コピーライターという立場上、なるべく一番最初に本質を言葉にするように心がけています。例えるなら、みんなより先に山の頂上にたどり着く責任がある。(もちろん、チームの他の誰かに先を越されることも多々ありますが、ひとつの精神論として……)そのとき、大切なのはそこで安堵しすぎてはいけないということだと思うのです。
言葉を駆使してたどり着いたひとつの山。そのとき、
その山から何が見えるか?
他の登り方はなかったか?
登った山は間違っていたのではないか?
隣に見える山のほうがもっといい山ではないか?
そもそも目指すべきなのは山なのか?
などなど、考えるべきことはたくさんあります。
言葉にできるということは、気がつけるということ。気がつけるということは、疑えるということ。「それ違うんじゃない?」と言い続けられること。表現の手前、まずはとにかく言語化してみることの意義はここにあるように思います。
そしてそれは、コピーという形で定着し、世の中に出たあとも考え続けなければいけないことなのかもしれません。言葉は、納品して終わりのも終わりではなく、その後も「品質保証」をし続けなければならないもの。
これはよく言われることですが、アートディレクターやCMプランナーと違い、コピーライターは最初から定着を担うことができる。撮影や編集やデザインという作業プロセスを経ることなく、最初に紙に書いた言葉がそのまま世の中に出ることになる。言い方を変えると、いちばんコスパがいいと思われている。(実際、「コピーライターは楽でいいよなー」なんて、レタッチ地獄にはまるADによく言われたりもしますが……)
いや、でも、そうでもないんだぞ、と言いたい。
そんな考えをするようになったひとつのきっかけは、自分の仕事が「炎上」したときのことでした。
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